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アルサケス2世

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アルサケス朝パルティアを建国した初代王アルサケス1世の息子として生まれた。父王(もしくは叔父のティリダテス1世)の跡を継いでパルティア王となり、領土拡大を目指してメディアのエクバタナを征服したが、セレウコス朝のアンティオコス3世(大王)は反撃に出て紀元前209年からパルティア遠征を行った。アンティオコス3世はメディアの支配者アルタバステスと結んでパルティア軍に相対し、パルティアの首都ヘカトンピュロスを陥落させた。このためアルサケス2世はセレウコス朝に降伏し、その「同盟者」となった。これはパルティアがセレウコス朝の宗主権を承認したものである。

その後の事情はよくわかっていないが、アルサケス2世の死後、王統はアルサケス1世系からティリダテス1世系へと移った。セレウコス朝に対する敗北が原因であるとする説もあるが史料の欠落によって詳細は不明である。

アルサケス2世(Arsaces II、在位:紀元前211年 -紀元前191年)はアルサケス朝パルティアの第2代王。実際にはアルサケス1世の子孫としてはただ1人のパルティア王であり、彼以後のパルティア王はアルサケス1世の弟ティリダテス1世の子孫である。なお、史料によっては彼の名はアルタバヌスとされており、これに基づいてアルタバヌス1世とされている書籍もあるが、最近の研究によりアルサケス2世が正しいらしいことがわかっている。

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2009年04月25日 16:20に投稿されたエントリーのページです。

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